介護その後
今年も無事に新年を迎えられたことに感謝しています。昨年末には賀状を注文するにあたり、無駄にならないだろうか等・・杞憂に終わりほっとしたところです。
介護病棟の義母も病院で新年を迎えました。昨年クリスマス頃までは「田植えの準備はできたか?」、「田植えは終わったか?」と何回説明しても時節感覚はずれていました。が、
今は新年正月、冬と解しているようです。
嚥下能力が低下し、鼻から管を挿入して栄養を摂っている状態でした。訓練食として、ゼリー・ババロワを食べさせていました。年が明け、お節の野菜を柔らかく煮て食べさせたところ、「噛む」ができました。自ずと飲み込むもでき、それから少しずつ(ピンポン玉位)ですがご飯も食べるようになりました。ちらし寿司、黒豆ご飯いろいろ食べられるようになりました。
また同室の患者さんのラジオを聴いて、内容に耳を傾けています。地元情報が流れているので、懐かしく思うのでしょう。スポンサーの名前、地名等憶えていることを話してくれます。30年以上前のことはよく憶えています。ただし、直近~10年位遡った頃のことは欠落しています。
これ以上快方は望めないと思いますが、咀嚼、耳からの脳への刺激で認知症が悪化しなければ良いなと思う片山です。
仕事のことなど
おめでとうございます 笠原です。
あいさつがそろそろ違うような気もしますが、かまわずいきます。
前にも書いたように思いますが、私の仕事は、主に配達の段取りをすることです。
運んでいる荷物は様々な物があって、住宅建築に必要な品物を、
建築中の現場に、工務店さんや大工さんの注文によって日々お届けしています。
もちろんその中には色々な要求があって、100kgを超えるような電気温水器を持って行ったら
「家の裏に置いて」とか
一つが20kg程ある床材(ゆかざい)を30ケース持って行って
「どこに置きます?」って聞いたら
「あ それ2階」などと言われて、担いだりすることは日常茶飯事です。
ただ 今はクレーン付トラックがあったりして、2階に材料を上げるのはそれほど大変なことではなくなりました。
ま その車が現場まで入れることが前提ですが...
昨年暮れのこと、強烈な配達依頼がありました。
神社の離れの改修工事で材料は少しだけど、石段をかついで上がってほしい とのこと
その石段が200段以上あるらしいのです。
ただ200段がどれほどのものか、聞いただけではいまいちピンときません。
結局 その現場に数回の配達があって、のべ10人ほどが行きました。
その中のメンバーは、朝礼でそんな配達があるので、時間が取れる人は手伝って欲しいと お願いしたときにたまたま目の合った人とか、
普段は倉庫の中でフォークリフトに乗っている人やら、さまざまな人が参列しました。
で そのメンバーの共通した感想は 「ここまで大変な配達は初めて」というもの
かく言う私も、行ってみましたが本当に大変でした。
下から見上げたら、はるか彼方に祠(ほこら)が見えます。
最初の20段ほどは「こんなもんなら なんとかなるやろ」と思えるのですが、そのあたりから急に足が上がらなくなり、ようやく上がりきった頃には過呼吸で倒れるのではないかと言うほどゼ~ゼ~いってます。
そういえば 初めに行った人が「今終わりました」って連絡くれたときは、お相撲さんの勝利インタビューのごとく何言ってるのかよく分からないのでした。
私は、そのとき荷物を持って5往復ほどしました。
その後の数日は自宅の階段の上り下りさえ手摺が無いとできないくらいでしたが、
人によってはその倍の日数が経っても、変な歩き方をしている方もおられました。
ちなみに ちょうど私たちが行っているとき、腰の曲がったおばあさんがお参りに来られました。
「すげ~」と思って見ていたら、下の鳥居のとこで上を拝んで1段も上がらずにさっさと帰られました。
おかげはとても有るらしいのですが、ここの神社の氏子でないことを心からよろこんだ少々バチ当たりな私でした。
下から見上げた写真
上から見下ろした写真